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最高裁判所第一小法廷 昭和53年(オ)940号 判決 1980年10月30日

上告人

株式会社読売新聞社

右代表者

務臺光雄

右訴訟代理人

田辺恒貞

外四名

被上告人

オイエ・ハロルド・トシヲ

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田辺恒貞、同表久雄、同渡辺洋一郎、同阿部隆彦、同村上政博の上告理由第三点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第一点及び第二点について

判旨原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、上告会社の各担当者が第一審判決別紙第二記載の記事の内容を真実と信じたことについて相当の理由があつたものということはできないものとして、上告会社の抗弁を排斥した判断は正当であり、その判断の過程に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでその判断を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(藤崎萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

<参考・原判決理由抄>

(東京高裁昭五〇(ネ)第一二三六号慰藉料請求事件、昭53.4.27第一四民事部判決)

(三) そこで進んで被控訴人の本件記事作成、掲載担当者において右記事が真実であると信ずるにつき相当の理由があつた旨の抗弁(三)について判断する。<中略>

被控訴人においてはつとに前記警察の動向を知り、本件記事以前にも、昭和四六年三月一二日及び同年四月二四日の新聞紙上でプレス・キャンペーンの趣旨も含めて賭博ゲームマシン関係者の逮捕及びこれに関連する記事を報道したが、特に被控訴人の記者である石橋功が中心となつて取材に努め、捜査当局に密着して情報を蒐集し、伊藤の逮捕されていることやその被疑事実を責任ある地位にある捜査官から聞いていた。そして石橋は、控訴人オイエ逮捕の当日も、逮捕、捜索のなされることをその被疑事実と共に捜査官に聞き横浜支局の記者及び写真部員を同行して逮捕、捜索の現場に赴き、逮補、捜索のなされていることを現認し、控訴会社の作業所において発見され、石橋も現認したリール絵が普通一般に使われているものの絵とは異るものであること及びそこで発見されたメダルが百円硬貨と同一の大きさのものであること等を捜査官から説明されて、右作業所においてスロットマシンの改造がなされていることに間違ないものと認め、直ちに本件記事の原稿をまとめて横浜支局から電話で本社の社会部に送稿した。これを受けた本社社会部次長の門馬晋は、石橋に誤りのないことを確認し、警視庁詰め記者を通じて右逮捕、捜索のなされたことを確かめた上、送られてきた捜索現場の写真と共に原稿を整理部に送り、同部において見出しを付け、割付けをして本件記事が同日の夕刊に掲載されるに至つた。

以上の事実が認められる。

以上の事実によると、石橋は捜索の責任者から予め伊藤の被疑事実と同人が逮捕されていること及び控訴人オイエの被疑事実及びその逮捕、捜索されることを聞いており、右控訴人が逮捕、捜索されているところを現認し、かつリール絵及びメダルを発見し現場の捜査官より右が控訴人オイエの犯行を裏付ける証拠である旨の説明を受けたために、その先入観によつて控訴人オイエに対する被疑事実が真実であると速断し、そのまま控訴人オイエの供述内容も聞かず急いで横浜から電話で原稿を送り、これを受取つた社会部等の担当者が単に警視庁詰めの記者を通じて逮捕、捜索の事実を確かめただけで、石橋同様記事の真実性に疑問を抱かずこれを新聞に掲載したものということができる。(ただ、当審において証人石橋功の前記逮捕、捜索後捜査官から控訴人オイエが犯行を自白したことを聞いた上本社に送稿した趣旨の供述があるが、右供述はあいまいな点が多く、又通常逮捕、捜索の現場で被疑者から自供をとることは考えられないので右供述は採用することができない。)

ところで、前掲証人細野七郎、控訴人本人オイエ兼控訴会社代表者の供述及び検甲第一ないし第五号証検証の結果によれば、控訴人オイエの扱つたスロットマシンの多くは米軍の払下げ又は国外からの輸入による中古品を修理再生したものであり、従つてそのリール絵も元々外国人向きに作られ、使用できるコインも各種の大きさのもの(例えば米貨五〇セント相当、二五セント相当、一〇セント相当、五セント相当等)があつたことが認められるから、当該スロットマシンが控訴人オイエによつて賭博用に改造されたものであるか否かについては容易に断定できる筋合のものでなく、しかも石橋らは控訴人オイエの供述の結果を聞く等その後の裏付けをとることをせず、未だ捜査当局が正式の発表をしていない段階において直ちに本件記事を作成、掲載したものであるから、たとえ右記事の一部が捜査の責任者から得た情報に基づくものであるとしても、記事掲載を急ぐの余り軽率に走つたとのそしりを免れず被控訴人の各担当者が本件記事の内容を真実と信じたことについて相当の理由があつたものと直ちにはいうことはできないから、従つて同人らに過失がなかつたものとはいえない。

上告代理人田辺恒貞、同表久雄、同渡辺洋一郎、同阿部隆彦、同村上政博の上告理由

第一点 原判決には理由に齟齬があり、又は判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背がある。

原判決は、判示理由三の冒頭において、摘示された事実が「真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるときは、右行為には故意もしくは過失がなく、結局不法行為は成立しないと解するのが相当である」と判示し、「控訴人ら主張のような企業の無過失責任論はその根拠を欠き到底採用することはできない」としたうえ、判示理由三の(二)において、「本件記事は控訴会社がスロットマシンの賭博用改造工場を有し、控訴人オイエは右工場で大量のスロットマシンを賭博用に改造し、これを暴力団員に売渡し、賭博幇助罪を犯したような印象を与える点でおよそ真実とかけ離れた内容の記事であるといわなければならない」と結論づけた。そして、判示理由三の(三)において、上告人の真実であると信ずるについて相当の理由があつた旨の抗弁について判断を進め、上告会社の取材記者であつた石橋が責任ある捜査官から予め訴外伊藤豊、被上告人オイエ等に対する被疑事実の説明を受けていたため「その先入観によつて控訴人オイエに対する被疑事実が真実であると速断し、そのまま控訴人オイエの供述内容も聞かず急いで横浜から電話で原稿を送り、これを受取つた社会部等の担当者が単に警視庁詰めの記者を通じて逮捕、捜索事実を確かめただけで石橋同様、記事の真実性に疑問を抱かず、これを新聞に掲載したものということができる」と認定し、結局、「当該スロットマシンが控訴人オイエにおいて賭博用に改造されたものであるか否かについては容易に断定できる筋合のものではなく、しかも石橋らは控訴人オイエの供述の結果を聞く等その後の裏付けをとることをせず、未だ捜査当局が正式の発表をしていない段階において直ちに本件記事を作成し、掲載したものであるから、たとえ右記事の一部が捜査の責任者から得た情報に基づくものであるとしても記事掲載を急ぐの余り軽卒に走つたそしりを免れない」、「従つて同人らに過失がなかつたものとはいえない」と判断して右抗弁を排斥した。

しかしながら、原判決は上告新聞社の担当者らに対し結果の回避を期待することができないことの明白な注意義務を課して、その違反を以て過失の内容としたか又は、能力をはるかに超える注意義務を課して、その違反を問い、いわゆる無過失責任の結果を容認したかして、上告新聞社の右抗弁を排斥したものであつて、理由に齟齬があるかもしくは判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈又は適用を誤つた違法がある。

一、過失責任は一定の法律上の注意義務を怠らなかつたならば、被害の発生を回避しえたにかかわらず、これを怠つたために被害の結果を発生させたことを、その本質的な内容とする。したがつて、その注意義務をつくしたならば、その結果の発生を未然に防止しえたであろうと認められる関係がなければならず、たとえ、その手段、方法を怠らなかつたとしても、その結果が発生したであろうと認められるときには、その手段、方法を怠つたことを以て過失責任を肯定することは許されない。

二、ところで、原判決は、かならずしも明確に摘示しているわけではないけれども、上告新聞社の担当者らについて過失責任を肯認した前記判示の内容から考えれば、原判決が指摘しているような手段、方法、すなわち、具体的には「控訴人オイエの供述結果を聞くこと」と「捜査当局の公式の発表まで待つこと」を怠つたために「控訴人オイエに対する被疑事実が真実であると速断」したことをその過失の内容としていることは、判文上明白である。しかしながら、この点に過失責任を肯定するのであれば、その前提条件として、そのような手段、方法を採つたときには、「控訴人オイエに対する被疑事実が真実であると速断」することは回避できたであろうと認められる関係にあることが不可欠である。もし、原判決が指摘するような手段、方法を講じてみても、なお、被上告人に対する被疑事実の真実性について疑問を抱かなかつたであろうと判断される場合には、そのような手段、方法を怠つたことを以て過失責任を問うことは許されないといわねばならない。ところが、原判決はこの間の重要な判断を看過して、上告新聞社の担当者らにつき注意義務違反を肯定したためか、結果の回避と全く関係のない注意義務違反を以て、その過失の内容としているのである。なぜならば、本件にあつては、原判決の判示した事実に則して考えただけでも、その当時において、原判決が挙示した手段、方法で取材すればするほど、ますます被上告人に対する被疑事実を真実であると信ずるに至る資料が増加するだけで、これに疑問を抱くに至る資料を収集しうる余地は全くないことが明らかだからである。

三、すなわち原判決が前記注意義務の内容として挙示した二つの具体的な手段方法は、捜査当局が被上告人を逮捕して取調べた同人の供述結果を聞くこと及び、捜査当局の公式の発表の内容を聞くことであつて、いずれにしろ、捜査の結果を収集することにある。そこで、原判決の判示した事実に則して、上告新聞社の担当者らが、これらの資料を収集した場合どうなつたかについて検討してみれば、捜査を担当していた第一審証人武者邦雄は、「控訴人オイエは逮捕後、自ら控訴会社の工場で前記スロットマシンを賭博用に改造したうえ、これを伊藤豊に売却したことを自白した」旨証言していること(原判決一〇枚目裏二行目から五行目まで)、「証人石橋功の証言によりその原本の存在、成立ともに認められる乙第二五号証(その形式、体裁より明らかなように、本件記事が報道された昭和四六年五月七日をはるかに経過した同年七月号で捜査当局である警視庁防犯部保安第一課の編集発行にかかるもの)にも同趣旨の、しかもその改造台数は七〇〇台ないし八〇〇台である旨の記載がある」(原判決一〇枚目裏九行目から一一行目まで)ことから考えただけでも、ますます、被上告人に対する被疑事実を真実であると確信するに至るであろうと思われることは明白であり、これに疑を抱くに至るかもしれないと認められる余地は皆無である。しかも、右乙第二五号証は、本件新聞報道の事実を記載しているが、これについて、何らの疑問も示しておらず、また、本件記事の翌日の朝刊で報道した日本経済新聞(乙第一号証)、朝日新聞(乙第二号証)にあつても、被上告人がスロットマシンを改造した旨の記事がある。したがつて、原判決の想定している「捜査当局の公式の発表」なるものがあつたとしてもこれと同趣旨の内容となることは一目瞭然である。そうとすれば原判決の挙示した二つの具体的な手段方法を講じてみても、被上告人に対する被疑事実が真実であると信ずる資料が加わるだけでこれに疑を容れる余地はなかつたのであるから、この手段方法を尽くさなかつたことを以て上告新聞社の担当者らに過失責任を認めることのできないことは明らかである。

四、原判決は、右具体的な手段方法のほかに「控訴人オイエの供述の結果を聞く等その後の裏付け」と判示しているが、「その後の裏付け」がもし、前記「捜査の結果による資料」以上の正解な事実調査を要求するものであるとすれば、それは、明らかに被上告新聞社の能力をはるかに超えた法律上の注意義務を課したものとみなければならない。いうまでもなく、本件の捜査当局である警視庁防犯部および愛宕警察署は強制捜査権を以て捜査している捜査機関であるが、被上告新聞社は、いかに組織・機構の整備された新聞社とはいえ、何らの強制力もない報道機関なのである。しかも、今日の報道機関は確定した事実を公表するというのではなくむしろ、日々、社会に生起している複雑で、流動的な事象を、そのときどきの状況に応じて取材し、これを読者に対し、迅速に新鮮なニュースとして提供すべき社会的責務がある。したがつて、その取材には自ら限界があり、時間的にも制約がある。このような限られた調査力しか持ちえない報道機関に対し、捜査権力を持つ捜査機関以上に正確な事実調査義務を要求するのは無理だといわねばならない。それにもかかわらず、原判決が、上告新聞社に対し、「捜査の結果による資料」以上の正確な事実調査を要求して、「その後の裏付け」を要求したものと認められるのであれば「控訴人ら主張のような企業の無過失責任論はその根拠を欠き到底採用することはできない」と判示していながら、結局は上告新聞社に対し、無過失責任を認めるに等しい。そうだとすれば、明らかに、原判決には理由に齟齬がある。

要するに、原判決は、上告新聞社の担当者が被上告人に対する被疑事実が真実に反するかもしれないとの疑いを抱く余地のありうる取材を怠つたとする点に注意義務違反を認めて過失責任を肯定したのではなくして、逆にますます、それが真実であると信ずるに至るかもしれないような資料の収集を怠つた点を捉えて過失責任を肯定したか、又は無過失責任論は採用しないと宣言しながら、能力をはるかに超えた法律上の注意義務を想定して、結局、無過失責任の結果を肯認したものであつて、これを前提に上告新聞社の真実であると信ずるにつき相当の理由があつたとする抗弁を排斥したのであるから、判決の理由に齟齬があるか、もしくは判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈又は適用を誤つた違法があり、破棄されるべきである。

第二点 原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用を誤り、最高裁判所の判例がない事項につき、控訴審たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、違法である。

原判決は判示理由三の(三)において、上告新聞社の記者である石橋記者が「中心となつて取材に努め、捜査当局に密着して情報を蒐集し、伊藤の逮捕されていることやその被疑事実を責任ある地位にある捜査官から聞いていた」と認定し、更に「石橋は捜索の責任者から予め伊藤の被疑事実と同人が逮捕されていること及び控訴人オイエの被疑事実及びその逮捕、捜索されることを聞いており、右控訴人が逮捕、捜索されているところを現認し、かつリール絵及びメダルを発見し、現場の捜査官より右が控訴人オイエの犯行を裏付ける証拠である旨の説明を受けた」ことを認定した。そして、このような取材によつて報道した本件記事の内容は、捜査当局であつた警視庁防犯部および愛宕署の捜査の結果と一致していたことは判文の全趣旨から明白である(原判決は第一審証人武者邦雄の証言および乙第二五号証の記載内容については否定的な判断を示しているが、それは判示理由三の(二)の真実性についての判断であつて、捜査の結果と本件新聞記事の内容が一致していたことまで否定したものでないことは明白である)。

ところで、最高裁判所の判例はないけれども、従来、新聞記者が捜査当局の責任ある地位にある捜査官など一般に信用できる筋から取材して、それが真実であると信じたときには、それが特に真実に反するかもしれないと疑うべき特別の事情のない限り、そのように信ずるにつき相当の理由があるものとして不法行為とならないとするのが高等裁判所および下級裁判所の多くの判例であり、これに反する判例はないのである。そして、その判例を摘示すれば次のとおりである。

(一) 福岡高等裁判所、(昭和二八年一月一六日判決、(下民集四巻一号三八頁、高民集六巻一号一頁)。

「……次に、前述のように、本件記事中、控訴人が夫人とともに逃走したということは事実に相違することであるが、本件記事は被控訴新聞社において、控訴人の公職選挙法違反容疑事件の捜査を担当した国警佐賀県本部の捜査課長から取材したもので、捜査課長は控訴人を右の容疑で逮捕すべく同人宅に赴いた警察官の前認定のような事実の確認にもとずく報告を受けたものであつて、被控訴新聞社は右報告にかかる事実として捜査課長から聞知したものである。それで、本件記事が事実と多少相違しても、この種の記事についてはその取材の対象が事件の捜査を担当した捜査課長というが如き信頼すべきものであつて、その間、何等の疑を挿むべき情況も認められないのであるから、被控訴新聞社としては、本件記事が真実であると信ずるについて相当の理由を有していたものということができる。

そして、間接取材の場合においては、新聞社としては、直接、自己の調査機関によつて、その真否を確かめるべきであると控訴人は主張するが、本件記事のように、その取材の対象が信頼すべきもので、その間、何等疑いを挿むべき情況も認められない場合においては、新聞社としては、更に、自己の捜査機関によつて、その真否を確める必要はないものと解すべきのみならず、たとえ、被控訴新聞社が、直接、自己の調査機関を通じてその真否を確かめるとしても、新聞記事としての報道の迅速という時間的制約の下においては、事柄の性質上、これ以上真相の探知をなし得べきものとも考えられないので、被控訴新聞社が真否を確かめることをなさず、捜査課長の取材にかかる事実を以て、直ちに真実であると信じたのについては、何等過失はなかつたものと認めるのが相当であるから、事実に相違する本件記事についても、被控訴新聞社は不法行為上の責任を負うべき限りでないというべきである。」

(二) 東京地方裁判所昭和二八年九月八日判決(下民集四巻九号一、二六七頁、判例時報一一巻二一五頁)。

「右野依秀之は東京警視庁記者クラブ詰めの放送記者として、昭和二七年一〇月六日昼ごろ同庁少年課保護係の原田警部補から捜査資料に基づいて、前記認定の放送内容と、その趣旨において同一内容の取材資料を入手してメモに取り、同警部補から、すでに新聞記者に発表済みであることを聞いたが、なお、同課の右内警部(発表係)から、右取材したメモの内容が同課において、報道用として作成していた資材の内容と同一である旨の確認と、その報道の許可を受けたうえ、右取材メモ通りを電話で被告の報道局取材部に送信したこと、右取材方法は警視庁において、日常一般に行われている方法であること、前記鈴鹿醇太郎は編集人として、取材部より右取材記事を受取り、警視庁より取材されたものとして、その内容を検討し、字句に若干の訂正を施したうえ、放送原稿として編集したこと、及び右野依と鈴鹿は、いずれも原告等とは、当時まで何ら面識はなく、前にも同種のニュースを取り扱つたことがあつて、右取材記事につき別段疑義を抱かなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。従つて前記認定の放送内容は、原告ら両名が警視庁少年課において取調べを受け、送検されたこと、及びその嫌疑の内容を同課の発表どおり報道したにとゞまるものというべく、右認定の事実に徴すれば、前記野依及び鈴鹿において、右ニュースの取材及び編集に当り、その真否を確かめるについて通常払うべき義務を尽したものと解するを相当とする」。

(三) 東京地方裁判所昭和三一年五月二一日判決(下民集七巻五号一、三一四頁)。(判例時報八四号二二六六頁、ジュリスト一一三号七七頁。)

「……を併せ考えれば、前記のように原告が昭和二七年九月八日選挙妨害の現行犯容疑で荻窪警察署に逮捕留置された後、被告会社の社員たる新聞記者は、同日から翌同月九日にわたり、当時、右犯罪事件の捜査を担当した右警察署の警察職員から右事件の概要並びに捜査の状況等を取材し、その都度原稿を本社に送付したところ、本社社会部においてこれを記事に採用し、同整理部において、これを編集整理のうえ、標題を付して本件新聞紙に掲載報道したものであることが窺われる。従つて、本件記事は被告会社の担当責任者が原告の名誉を毀損する悪意を以てこれを掲載したものと認められないのは勿論、その取材源が事件の捜査を担当した警察職員という社会的にも信頼すべき筋とせられるものであつてその間になんら疑を挿むべき情況も認められないから、被告会社の担当責任者は本件記事を真実であると信ずるにつき相当の理由を有していたものと認めるのが相当である。

……(中略)……前記のように、事件の捜査を担当した警察職員から記事の取材がなされた場合において、その事実が全く警察官の捏造に過ぎないことの認められる情況が窺われたのなら格別、さような情況もないのに、新聞社が一応これに疑いを挿まなかつたからとて判断の軽卒を責めるのは酷にすぎるのみならず、たとえ、被告新聞社が自主的調査によつて真否を確かめるにしても、新聞記事として報道の迅速を要求される関係からして、事柄の性質上、右取材以上の真相の探知をなし得べきものとも考えられない故、被告新聞社が更に裏付取材によつて真否を確かめず、前記間接取材の事実を直ちに記事に掲載報道したことについてはなんら過失はなかつたものと考えるのが相当である。」

(四) 仙台地方裁判所昭和三四年五月二一日判決(判例時報二〇五号二四頁)。

「しかし、本件のごとく、記事が警察等の官庁によつて提供された情報から取材されたものである場合にも、新聞が私企業の自由経営に委ねられていて、そこに記事選択の自由がある以上、新聞社は、単に記事の源泉が官庁であることの一事によつて、右真実性の立証の必要性を免れ得るものではなく……(中略)……しかし、他面、日々の出来事を迅速に報道することが新聞の重要な任務であり、しかも、この迅速性の要請が他社との熾烈な競争からいよいよ高まりつゝある現状からみて、取材の対象が、官庁情報のごとく、信頼すべき筋から出たものである場合には、たとえ、報道内容が真実に反するものであるとしても、取材当時提供された情報に対し、客観的に疑いをはさむべき事情がなく、且つ記事の公正が維持されていると認められる限り、掲載の規模に応じ、裏付け調査や当事者の言い分の掲載を欠くとしても、真実性についての注意義務に違反するところがなかつたものと解するを相当とする。」

(五) 東京地方裁判所昭和三九年六月二〇日判決(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕一六四号一七八頁)。

「……本件のように、関連性のある事件の記事の一部が真実であることが認められないときでも、担当の捜査官その他信頼すべきところから入取した材料に基づいて作成されたものであり、かつその材料から記事の事実を推定することが常識に反しないような場合には、特段の事情のない限り、当該記者ないし編集者には、その点についても過失がないものとして、不法行為上の責任を免れるものと解するを相当とする。」

なお、最高裁判所昭和四七年一一月一六日判決(民集二六巻九号一、六三三頁、判例時報六八七号四八頁)は、関係人からの事情聴取さえもすんでいない段階の報道で、捜査の結果とも符合していなかつた事案であつて、本件には適切でないことは明らかである。

原判決は前記のとおり上告新聞社の取材記者であつた石橋功が捜査当局に密着して、その責任ある捜査官から取材した事実を認定し、しかも、捜査当局が捜査を遂げて得た捜査結果の被疑事実に符合することを肯認しながら、あえてこれらの判例に相反する判断をし、前記第一点で詳論したように、何らの疑いもおこりえず、かえつてこれを真実と信ずる資料が加わるに過ぎない取材行為を怠つたこと又は不当に過重な注意義務を前提として、上告人のこれを真実であると信ずるにつき相当の理由がある旨の抗弁を排斥したのであるから、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用を誤り、最高裁判所の判例のない事項につき控訴審たる高等裁判所その他の下級審の判例に相反する判断をしたのであるから、破棄を免れない。

第三点<省略>

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